境界性人格障害と何もない日々

  エントリのタイトルに境界性人格障害の話って書いたけど、実際のところぼくの今の症状はボダの診断基準を満たないくらいには軽快していると思う。一年前なんかはすごくて、自殺未遂して救命病棟に搬送されて胃洗浄されて「しにてー」「明日2限出れないから単位落とすじゃん」とか的外れなことを考えながら病院の天井を眺めてたら、「インドに行きなさい」って天啓が降りてきて、で、本当にインドに行った。幼稚園の頃から聖書を読んできて、はじめて神の存在を感じた。マジで。

「あなたがたの遭った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に遭わせるようなことはなさいません。(コリント)」

 いや、試練の配分ミスってない?お陰で死にかけたんだけど…。ぼくがイエスの弟子だとユダが一番好きなようなやつだから、神もムカついたのかもしれない。やりすぎでしょ。境界性人格障害かよ。でも、ホールデンの「キリストは絶対にユダを地獄に送ったりなんてしない」ってセリフは至言だと思う。
 急に天啓が降りてきたとか言ってインドに行くのはどう考えてもボダからくる衝動性の為したわざなんだけど、Facebookには「思い立ったが吉日と思って、インドに行ってきました(^○^)(インド人と撮った写真)」とか書いた気がする。いちいちやることがボダっぽい…。

 ぼくの書くことはたぶん、いま境界性人格障害で苦しんでる人たちには何の希望も与えないと思う。正直に言うと、ぼくは境界性人格障害だった時の方が人生が豊かだったとすら思うことがある。

 理由をいくつか挙げたい。

 まずひとつ目に、感受性の問題。ご存知のように境界性人格障害の人は異常なまでに傷つきやすい。しかし言い換えれば感受性がとても豊かなので、本当にちょっとしたことで傷ついて大騒ぎする反面、美しいものや人の優しさに触れた時に感じるものも普通の人よりはるかに大きい。地平線まで続く海の美しさとか、友達の肩のぬくもりとか、あの時期はそういうことにすごく感動していた気がする。

 ふたつ目に、境界性人格障害はぶっちゃけた話、「モテ」る。ツイッターとか見てるとブサイクな境界性人格障害の女が「パパ」の話をしてたりするけど、あれは、自分がモテてると勘違いしてる。ぼくも自分の周りにくっっっさいマンコを持ってきて並べて、自分がモテるかのような錯覚に陥っていた。誰でもある程度自分に夢は見ていたいけれど、症状が軽快するにつれて、本当の自分と向き合わなければいけなくなってくる。これがつらい。往々にして、本当の自分なんて大したことないのだけれど、それを骨の髄に染み渡るくらい見つめないといけない。この辺はボダの典型的な思考である自己肯定感の低さと矛盾すると気付いた人は鋭い。確かに矛盾するんだけれど、人間は矛盾を内包している生き物だし、二重思考だって出来る。だから一概には言えない。このケースについて言えばぼくは「モテるけど何の意味もないし、本当に魅力的な人には振り向いてももらえない 死にたい」という考え方をしていた。自分でクサイマンコを持ってきて並べてるだけなのにね。
 ボダの人は確かに自己肯定感が低いけど、ただ一概に低いだけとは言えない難しさがある、と思う。

みっつ目に、対人の問題。これはふたつ目と少し被るんだけど、ボダってる時って無意識に人を引っ張ってきて自分の周りに置いて、当たり散らして、ってことを平気でしちゃうんだよね。それで人が離れていって…を繰り返すわけだけど、ボダが軽快すると、実直に人と向き合うことになるから、その人の嫌なところが今までよりはるかに目についてくる。今までまともなコミュニケーションを放棄していたボダにとってはそれでもその人と仲良くし続けるのはなかなか難しい。

 そしてなにより、毎日に刺激がない!ボダの日々はジェットコースターである。5分前には笑顔だったと思ったら、ちょっとしたことでこの上なく落ち込んでとんでもないこともあるし、逆もまた然り。疲れるしつらいんだけど、いざこれがなくなると、「え?人生ってこんなに退屈だったっけ?」となってしまう。

 まだ挙げようと思えばいくらでもあるんだけど、もう書きたくないのでこの辺にしておきます。
 とにかくぼくが言いたいのは、ボダに限らず精神病が治れば豊かな人生が待っているみたいな妄言に惑わされるな、ということ。治療の過程でこの考え方でいっちゃうと、確実に後々苦労する。確かに毎日希死念慮や見捨てられ不安に惑わされずに済んで(ぼくはここまでステージが高くないので知らない世界だけど)普通に暮らせたら楽なことは楽だ(ろう)けど、人生は薔薇色なんかじゃないし、つらいことは病気が治ってもいくらでもある。それでも堅実に、真面目に生きないといけない。それをしっかり見つめないとだめだと思う。

 ぼく個人の話をさせてもらうと、ぼくには大学に本当に大切な友達が3人いて、ぼくが一番ひどかった時期も支え続けてくれてたんだけど、そのうちの2人は簡単にぼくから離れていってしまった。仕方ないとは思うけれど、やっぱりどうしても「裏切られた」「騙された」という気持ちが強い。ちゃんと病気についても説明したのに。本まで買ってたじゃん。なんで今見捨てるの?なんであの時抱きしめたの?死んで欲しい 許さない こっちがどんな思いで毎日生きてると思ってるの?結局ぼくのことなんてどうでもよかったの?ふざけんなよ セックスとくだらねえ人間関係以外にすることないのかよ 助けて!助けて!

 何故か最後までぼくのことを助けてくれる友達はみんな女の子なんだよね。何でかは知らないけど。この辺もボダっぽいといえばそうかな。
 
 ぼくだって救われない地獄の中でもがいている。一人でどうにか出来るものじゃないけど、どうやって助けを求めればいいのかも分からない。なにも変わらないね。ずっとこうなのかな。助けて欲しい。助けて。
 

髪を染めました

 ここ1年近く髪の色を本当に好きなようにいじくりまわしてきた、アッシュグレーやベタな金髪からネイビーまでやりたい色は全部やった。
 何で髪を染めようと思ったのか分からない。ぼくは地毛が一番似合うことを知っていたのに。
 今しか出来ないかもしれないかもしれないからとか色々言うことは出来るけれど、自分が変わりたかったから、だと思う。
 髪の色を変えたくらいでは何も変わらないことに気付いた時にはもうぼくの髪の毛は度重なるブリーチでギシギシになっていた。それでもぼくは髪の色を染めて、髪を社会的に正常でないスタイルにカットしてもらって、それで…
 今日、髪を黒く染めました。髪型は前下がりボブのまま。黒といっても自然な黒というよりはいわゆるレイヴン、カラス色だけれど、とにかく、髪を黒く染めました。理由は簡単で、生え際が結構伸びてきたけれどこれ以上ブリーチして髪の毛を痛めつけたくなかったから。それだけ。これからもう、死ぬまでブリーチをすることはないだろう。
 自分にできることを精一杯やって、例えばひとりでインドを横断してみたり、現実でも出来ることをひとつひとつ真剣に取り組んで必死に頑張って頑張って頑張って頑張って頑張って頑張って頑張って頑張って頑張って頑張って頑張って頑張って頑張って頑張って頑張って頑張ってでも自分の能力なんてたかがしれてて限界があって自分より上の人なんてどの分野においてもたくさんいて鏡で自分の顔や姿を見るたびに憂鬱な気持ちになってもう、疲れた。
 ほんとは全部知ってる、気付いてるんだよどんなに頑張ってもぼくはぼくのままでたとえ口座にいきなり6億円くらい振り込まれたり起きたら顔が綾野剛になってたりしてもぼくはぼくのままで一生ぼくの殻から出ることなんて出来るわけなくてそんなの当たり前で、でも嫌だから、嫌だから一生懸命頑張る。それも全部空振りに終わってどんどん空っぽになっていく感じがする。
 ぼくはまだ気付いてないフリをしてる、なにをやっても無駄だって、何やっても結局意味ないんだって、それでも自分が突っ走るのを止められなくて必死に走ってるのにぼくの全速力のスピードを徒歩で出せる人がいて、でも認めたくなくて…
 それを認めて受け入れた時にきっとぼくは大人になれるんだと思う、分からないけど。

 こんなブログを書いて許されるのは可愛い女子高生だけである。
 

コインロッカーベイビーズ

そうだ何一つ変わっていない、俺達がコインロッカーで叫び声をあげたときから何も変わってはいない、巨大なコインロッカー、中にプールと動物園のある、愛玩用の小動物と裸の人間達と楽団、美術館や映写幕や精神病院が用意された巨大なコインロッカーに俺達は住んでる、一つ一つ被いを取り払い欲求に従って進むと壁に突き当たる、壁をよじのぼる、跳ぼうとする、壁のてっぺんでニヤニヤ笑っている奴らが俺達を蹴落とす、気を失って目を覚ますとそこは刑務所か精神病院だ、壁は上手い具合に隠されている、かわいらしい子犬の長い毛や観葉植物やプールの水や熱帯魚や映写幕や展覧会の絵や裸の女の柔らかな肌の向こう側に、壁はあり、看守が潜み、目が眩む高さに監視塔がそびえている、鉛色のキリが一瞬切れて壁や監視塔を発見し怒ったりおびえたりしてもどうしようもない、我慢できない怒りや恐怖に突き動かされてコトを起こすと、精神病院や刑務所と鉛の骨箱が待っている。

 目を開けたら救命病棟の天井が目に入った。ぼくはコインロッカーの破壊に失敗した。
 あれから1年が経った。
 ぼくは相変わらずコインロッカーの中だ。それでも壮絶な戦いを続けている。命をかけた戦いだ。
 正直勝ち目はない。それでも戦わなければいけない。

諦観

 何を書けばいいのか分からないのに何か書きたくてでも何を書けばいいのか分からないから何を書けばいいのか分からない。
 右手の中指に小さな切り傷がふたつ出来ている。何時間か前に代々木公園で無理矢理ビールの瓶を開けようとして出来た傷だ。ぼくが上手く開けられずに苦労していると、通りすがりの外国人が鍵を使って器用に開けてくれた。ありがとう。ハブアグッドナイト。そうお礼をすると彼は笑顔で仲間の元へ戻っていった。
 生活は続いていく。最早これが生活なのか分からない。辞書を引いてみる。
せい‐かつ〔‐クワツ〕【生活】
[名](スル)
1 生きていること。生物がこの世に存在し活動していること。「昆虫の―」「砂漠で―する動物」
2 人が世の中で暮らしていくこと。暮らし。「堅実な―」「日本で―する外国人」「独身―」
3 収入によって暮らしを立てること。生計。「―が楽になる」
 
 とりあえず生きていればそれは生活になるらしい。ぼくのウォークマンから流れる「生活が出来そう」というフレーズは間違っているらしい。
 でも生きてればなんでもいいじゃん、つーかむしろ死んだっていいじゃん、どうせ生きてればいつか死ぬんだから今死んだって100年後に死んだって同じだよ。高校生の時に読んだ中島義道の本にそう書いてあったよ。
 多分意味を見つけたいのだ。生きていくことの中に意味を見出して、それを生活と呼びたいだけのことなのだ。時間は過ぎていく。誰にも止められない。止められても困るし。でも時間が止められたら誰も気付かないじゃんウケる。小学生の時なんかは実は世界は1秒ごとに静止しているんじゃないかって思ったりしたよ。でも量子力学かなんかが時間は止まらずに流れていくことを証明したらしいよ。
 円城塔の小説に時間の流れがぐちゃぐちゃになった世界の話があったよね、ユグドラシルっていう人工知能が可愛かったことしか覚えてないけど。屍者の帝国、あれどうにかならなかったのかな、本人も不満だったらしいじゃん、あれはあんな形で出版すべきものじゃなかったと思うよ、なんだっていいんだけどさ、ハーモニーや虐殺器官みたいにまた読みたいって思えるタイプの本じゃないんだよね、面白いとは思うんだけどさ、単行本の初版で読んだし。そりゃオタクだから伊藤計劃好きだよ、どうでもいいけど今伊藤計劃って打ったら一発で変換されたよ、昔はされなかったのに。死んでから何年も経ってからやっと計劃って一発変換されるようになるのちょっと可哀想、ぼくそんなに文章上手くないしそんなに人生楽しくないからぼくの分まで彼が生きて面白い本沢山書けばよかったのにな、荒削りなのにストーリーだけであそこまで読ませるのはすごいよ、アニメ化も近いね、花澤香菜はどの役をやるの?どうせなんかの役やるでしょ。
 ディストピア小説は好きだ、ハクスリーの素晴らしき世界とかオーウェルの1984年とか。映画だとゴダールアルファヴィルが好き。ちょっと近未来に対する想像力が足りない映画だけどさ。あとガタカとかも好きだよ、優性遺伝子劣性遺伝子。それが全てを決める世界。全てが記録される世界。Watch Meで全てを監視される世界。
 彼らがなにを言いたいかっていうとそんな世界と今の社会って何が違うの?ってことなんだろうけどさ、ぼくにはすごく斬新な発想に見えたんだよ、はじめて1984年を読んだのは小学四年生の時だった。親に2週間オーストラリア旅行に連れて行かれて、カラマーゾフの兄弟と1984年を荷物に入れておいたんだ、小学校中学年なのに背伸びしてそんな本ばっかり読んでた、でも読めることには読めるしさ、やっぱり面白かったんだよね、思い出した、あとダンテの神曲も持ってったな、あれは読破出来なかった、長かったしよく分からなかった、今読んだらどうなんだろう。
 何だかぼくは小学校の時にドフトエフスキーを読んでからドフトエフスキーは怖いという刷り込みがあってロシア文学自体中々読めない。ドイツ文学も同じ。小学生だから明日起きたら虫になってたらどうしようって思って中々寝れなかったんだ、カフカはドイツ文学じゃないって言われたって困るよ、だってウィトゲンシュタインは英米哲学だしオスカーワイルドはイギリス文学かフランス文学だよ、プラハカフカミュージアム行ったからその位知ってるよ、カフカはミュージアムは正直ショボかった、箱根にある星の王子さまミュージアムに雰囲気が似てるけどもっと小さい。しかもアクセスが悪い。提携してるミュシャミュージアムはアクセスも良いし絵も綺麗だった、ヒアシンスの王女さまの絵。
 ミュシャの絵みたいなものだけが世界に満たされればいいのにな、そうすればもう少し優しい世界になるかもしれない、でもぼくはインドの汚れた雑踏も好きなんだよね、日本人は生活してるとは言えないよ、なんか機械みたいでつまらなさそう、インドの人たちは生活してるよ、一生懸命生きてる。
 こんな文章を書いているだけで2000字をこえてしまった、今週末にぼくが仕上げないといけないレポートと同じだけの文字数。こうやって意味のない文字列を垂れ流すのも生活。

保健室

 高校二年生から三年生にかけて付き合っていた女の子がいた。とても綺麗で整った顔立ちをした子だったが、彼女の顔で最も特徴的なのは目だった。なんと形容すればいいのか、元気で、芯があり、優しさがあり…そんな彼女の内面が伝わってくるそれは対の黒い宝石のようだった。
 彼女は病弱で、ぼくは高校の時から授業をサボりがちな不真面目な生徒で、かつ精神を既に病んでいたので、保健室で出くわすことも多かった。今でもあの保健室を鮮明に思い出すことができる。途中で変わった保健室の先生、誰かが残していったメモ、太った中年女性のスクールカウンセラー…そして白い布団、白いベッド、白い天井…
 それがぼくの青春だった。清潔な白いシーツの上の、青春。
 ぼくの大学合格が決まった直後に彼女とは別れてしまった。今考えればくだらない理由だが、高校生のぼくたちにとってはとんでもなく重大なできごとがあったのだ。
 あれから数年経ち、彼女はある分野で成功を収めている。この前会ったら相変わらずキラキラした対の瞳をキョロキョロさせていた。
 一方ぼくは、たぶん、まだ、保健室のベッドの上にいる。
 失われた青春を認めることが出来ず、横たわって、白地にまだら模様の天井を見上げている。
 そろそろこの硬いベッドから起き上がらなくてはならない、そう思う。

第20回文学フリマ東京

 文フリに出ないか、という話をもらったのは昨年の11月末のことだった。突然浮遊感からスカイプがかかってきて、誘われた。綿と2人で話を進めているということで、興味を持ったぼくは快諾した。短編を書けばいいということで、まあ難しくはないだろうと思ったのだ。
 浮遊感からのスカイプから数日が経ち、既に書き上げていたという綿の初稿が送られてきた。   正直打ちのめされた。彼女の書く文章のレベルの高さに圧倒された。今の自分の筆力ではこんなものに追いつくのには何年かかるのだろうと思ったし、今でも思っている。
 兎にも角にも引き受けてしまったのだから書くしかない。しかし考えてみればぼくは中学生以来物語性のある文章など書いたことはなかった。評論などは昨年くらいまでは熱心に書いていたが。ちなみに中学生の時書いたのはクラスメートを登場人物にした官能小説であった。(教室の後ろの棚に置いておいたらクラス会議になったけど黙っていた。)
 これは困ったことになったぞと思った。テーマは孤独についてで最低4000字ということで、小説ではなく評論でも良かったのだが、孤独についての評論など想像するだけでスペルマ臭い。小説を書くしかなかった。
 
 自分なりに頑張って、初稿は2014年内に仕上げた。ロンドン滞在の経験を題材にしたものやSFなど他にもいくつかのプロットを書いたのだが、結局今回寄稿した「透明な少年」に落ち着くこととなった。
 デブのブログに「みんなで話しあって〜」みたいなことが書いてあったが、あれはかなりオブラートに包まれた表現である。
 セロトニン工場のスカイプ会議は必要に応じて月に2回ほど開かれたが、強烈な相互評価が繰り広げられ、何回かに一回かは誰かが泣くほどだった。ぼくも泣いた。
 期限もかなり迫ってからたおくんが参加するなど波乱もあった(割と短期間でサクッと読みやすく唸らされる気の利いたミステリーを書いてきてくれたのでやられたと思った)が、みんな何度も推敲と相互評価を重ね、どうにか納得の出来る仕上がりになっていった。入稿もギリギリとなったが、どうにか間に合った。
 文フリの2日前から綿がぼくの家に泊まりに来ていて、彼女と二人で段ボールに包装されて郵送されてきた「点在」を開けた。その夜、彼女は何も言わず、ずっと「点在」を読んでいた。ぼくももちろん読んだ。半年みんなで頑張ってきて、やっと形になったものが目の前にあった。何とも言えない気持ちがこみあげてきた。文フリ当日、「点在」の梱包された段ボールはぼくが普段使っているプラダのリュックには入らなかったものの、スケートボード用に持っていたスラッシャーのリュックにはどうにか入ったので、そのリュックを担いで綿と家を出た。リュックはずっしりと重く、帰りも重さが変わらなかったらどうしようという不安が脳裏をよぎった。綿とも20部も捌ければ上出来だね、などと言いつつ会場入りした。
 「点在」は予想以上に売れた。正直に言うと、寄稿者(浮遊感は来れなかった)が全員集まった頃にはもう三分の一以上が売れていた。
 結局、相当な時間を残して「点在」は完売した。帰り道、異様に軽くなったリュックを背負って帰った。
 翌日、綿が帰ってしまい、ぼくは無意味に広くなった部屋でひとり「点在」を読んだ。寄稿者全員のこの半年の努力を思い出して、寂しさも相まり、涙が出そうになった。

 寄稿者全員に、そして「点在」を買ってくれたすべての人に心からの感謝を。本当にありがとう。