第20回文学フリマ東京

 文フリに出ないか、という話をもらったのは昨年の11月末のことだった。突然浮遊感からスカイプがかかってきて、誘われた。綿と2人で話を進めているということで、興味を持ったぼくは快諾した。短編を書けばいいということで、まあ難しくはないだろうと思ったのだ。
 浮遊感からのスカイプから数日が経ち、既に書き上げていたという綿の初稿が送られてきた。   正直打ちのめされた。彼女の書く文章のレベルの高さに圧倒された。今の自分の筆力ではこんなものに追いつくのには何年かかるのだろうと思ったし、今でも思っている。
 兎にも角にも引き受けてしまったのだから書くしかない。しかし考えてみればぼくは中学生以来物語性のある文章など書いたことはなかった。評論などは昨年くらいまでは熱心に書いていたが。ちなみに中学生の時書いたのはクラスメートを登場人物にした官能小説であった。(教室の後ろの棚に置いておいたらクラス会議になったけど黙っていた。)
 これは困ったことになったぞと思った。テーマは孤独についてで最低4000字ということで、小説ではなく評論でも良かったのだが、孤独についての評論など想像するだけでスペルマ臭い。小説を書くしかなかった。
 
 自分なりに頑張って、初稿は2014年内に仕上げた。ロンドン滞在の経験を題材にしたものやSFなど他にもいくつかのプロットを書いたのだが、結局今回寄稿した「透明な少年」に落ち着くこととなった。
 デブのブログに「みんなで話しあって〜」みたいなことが書いてあったが、あれはかなりオブラートに包まれた表現である。
 セロトニン工場のスカイプ会議は必要に応じて月に2回ほど開かれたが、強烈な相互評価が繰り広げられ、何回かに一回かは誰かが泣くほどだった。ぼくも泣いた。
 期限もかなり迫ってからたおくんが参加するなど波乱もあった(割と短期間でサクッと読みやすく唸らされる気の利いたミステリーを書いてきてくれたのでやられたと思った)が、みんな何度も推敲と相互評価を重ね、どうにか納得の出来る仕上がりになっていった。入稿もギリギリとなったが、どうにか間に合った。
 文フリの2日前から綿がぼくの家に泊まりに来ていて、彼女と二人で段ボールに包装されて郵送されてきた「点在」を開けた。その夜、彼女は何も言わず、ずっと「点在」を読んでいた。ぼくももちろん読んだ。半年みんなで頑張ってきて、やっと形になったものが目の前にあった。何とも言えない気持ちがこみあげてきた。文フリ当日、「点在」の梱包された段ボールはぼくが普段使っているプラダのリュックには入らなかったものの、スケートボード用に持っていたスラッシャーのリュックにはどうにか入ったので、そのリュックを担いで綿と家を出た。リュックはずっしりと重く、帰りも重さが変わらなかったらどうしようという不安が脳裏をよぎった。綿とも20部も捌ければ上出来だね、などと言いつつ会場入りした。
 「点在」は予想以上に売れた。正直に言うと、寄稿者(浮遊感は来れなかった)が全員集まった頃にはもう三分の一以上が売れていた。
 結局、相当な時間を残して「点在」は完売した。帰り道、異様に軽くなったリュックを背負って帰った。
 翌日、綿が帰ってしまい、ぼくは無意味に広くなった部屋でひとり「点在」を読んだ。寄稿者全員のこの半年の努力を思い出して、寂しさも相まり、涙が出そうになった。

 寄稿者全員に、そして「点在」を買ってくれたすべての人に心からの感謝を。本当にありがとう。